交わりの欠如からは、画一性と紋切り型が生まれる---A.ストー『人格の成熟』
ぼんやりネットサーフィンをしていても、目的を持って調べ物をしていても、しばしばツイッターのログに出会う。これが見事にほぼ全て面白くない。十中八九は読むに足らない。「面白くなさ」の理由はいくつかに分類できる。
1,芝居ががっている
2,嘘
3,ただの引用(リツイート?)
3は単体でお目にかかるが、1と2は渾然一体としている。ツイッター世界における定型フォームがあって、もれなくそれに則っているからだろう。炎上案件ですら、ご丁寧にフォーム内でバトルをしている。それが「芝居がかって」「嘘くさく」感じられるのだ。フィジカルな痛みを伴わないぶん、プロレスより悪い。フィジカルな痛みは人がヒトであることを思い出させてくれる。
フォームというのは文字制限のことではなく、ノリみたいなものだ。「2ちゃんでマジレスカッコ悪い」みたいなノリです*1 。誰もが、そこで正しいとされる振る舞い方に則って何らかの役割を演じているように見えてくる。第三者の意見なのか、それをアレンジして出てきたその人の意見なのか、その人ならではの意見なのか、もうさっぱり分からない。考えの道筋のようなものが、何1つ見えてこないのだ。その道筋にこそ、そいつらしさが出るもので、こちらはそれを期待しているのに、全部同じと来たもんだ。枠組みや使い方どころか、単語レベルで同じなのだ。例えば、判で押したように「同調圧力」って「辛いよね」などと言う。語のチョイスに、その人を連想させるようなものが何もない。感情表現さえも、みな同じなのだ。「同調圧力」を案じているらしい人がこれなのだ!
総合すると、ツイッターのつまらなさは、そこに居ると想定していた「個」の不在にあるのかも知れない。そういう均質な世界では、個々の人柄なんて原始時代の野蛮な習慣か何かに思えてくるほどだ。
自由とか個性って何なんでしょうね。
ええ、ただの言葉です。書きつけられ、硬直した言葉。
現実で長く付き合う彼らには、きっと彼/彼女らしい厭らしさや、愛おしさや、敬意を払いたくなるようなところや、そういうのがたくさんあるはずなんだけど。あって欲しい。