私記と思記

何故なら、ものを書くということは人と交わるためのひとつの方法だからである。---V. ウルフ

私の心に残るこの汚点は、悲しみに暮れ自責にさいなまれる数ヶ月を過ぎても、洗い流されるというようなものではない---J.クラカワー

 

空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)

空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)

 
             

...作者がカタルシスとして書いた場合、しばしば読者がしらけるということもわたしは承知している。しかしわたしは望んでいるのだ---あの惨劇の直後、錯乱と苦悩の只中に、あえて自分の気持ちをさらけ出すことによってえるものあるだろう、と。時が経過し苦悩が消散したあとではもう出てこないかもしれない、生(き)のままの厳しい誠実が、わたしの記述にあれば、と思っている。

  1996年のエベレスト大量遭難の生還者本人による山岳ドキュメント。著者のクラカワーが難波さんと同じパーティーにいたことを初めて知った。

 クラカワーは米国有数のアウトドア雑誌の記者として、商業登山の実態をレポートするべく、実際に商業登山パーティーでエベレスト登攀を試みる。そこで史上最悪レベルの大量遭難事故の当事者となる。事件当時アタックを試みていた4パーティーすべてが巻き込まれ、総勢12名が亡くなっている。クラカワーの所属隊では、ガイド及びシェルパを含めアタックを試みた8名のうち実に4名が死亡している。クラカワーはそこから辛くも生還した一人だ。その一部始終を、生還後に行った取材を加えてまとめたものである。本人も言っているように、書かずにおられなかったのだろう。

 クラカワーは『荒野へ』で初めて知った作家で、わざわざ独りぽっちになり引っ込んだところから淡々と描写した巨大で手に負えない世界に、ほとんど気違いじみた執念深い取材で得た無数の断片をひと針ひと針縫いこんでゆくことで生々しい構成体を創り上げるような独特のスタンスと、ひとえに暗く冷淡な文体が好みなのだが、これらは文学的な効果を狙って練り上げたものではなく、彼の経験や思いのそのものなのかもしれない。

 彼が取り上げる個別のエピソードや人間模様と、それらに対する彼の解釈はともかくとして、彼の希望通り彼の叙述には「生の厳しい誠実さ」が滲んでいると、私は思う。彼が取材名目で参加することになるガイド付き登山を提供する会社をめぐって行われていた駆け引きへの悪びれない態度や、同日アタックしたお隣の隊(スコット隊)のロシア人ガイドであるアナトリ・ブクレーエフへのまことに不合理かつアンフェアな子供じみた糾弾も含めて。

 本書以外でこの事件のあらましを調べる限りにおいても、あの現場で彼ができることなどなかったと思う。実際「どうしようもなかった。あの中で私は最善を尽くした」と話す、深刻な後遺症を負った生還者もいる。私もどうしようもなかったし、クラカワーは生還できただけで幸運だったと思う。生存者罪悪感の激烈なことは容易に想像出来るのだが、彼の報告を読んでもやはり、彼に出来たことなどなかったし、他の誰かがどこかの時点で何かを「点」的に行った/行わなかったとして、避けようがなかった気がする。数々の出来事があまりにも複雑に絡み過ぎている。登山会社間の商業上の競争。登頂を商品として提供する側の沽券。それぞれの顧客の思惑、そして貧弱な登山技術。取り決めた約束を守らないパーティー。不可解に激情的で問題の多そうな、と或る隊の隊長。とかくお騒がせで有名なセレブリティの顧客。それらがもたらしたかもしれない個人間の悪感情。当然のこと形成されない結束感や信頼。山を神と畏怖するシェルパと「西欧社会」の金持ちたち。山頂への最後の難所での大渋滞。そして天候の急変。これら全ての出来事の総体として結果的に遭難があったとしか、言いようがない。上に挙げたような個別の出来事でさえも、それらが必然的な結果なのか或いは偶然の産物なのか、そんなことは誰にもわからないのだ。個別の出来事から因果関係を求めるのは不可能だ。しかしジョン・クラカワーはアナトリ・ブクレーエフをけしからんガイドだと徹底的にこき下ろす。本書の中でこれほど非難された人はいない。その叙述はあたかも言外に大量遭難の責を彼一人に帰すかのようだ。

 だが私は思わずにおられない…クラカワーが受け容れたくないのは、不愉快な諸事実や、或いは凄惨な経験そのものではなく、彼が「無力であることその事自体」なのではないか?と。責められる点もあったかもしれないが、英雄的と言って過言ではない危険な救助活動に挑み、自身の所属隊の顧客2人を救ったスコット隊のブクレーエフへの奇妙な或いは醜い糾弾は、実はクラカワー自身に向けられているのではないだろうか。隊の同胞である難波を救えなかった彼自身に。唯一心を開きあった友人を「見殺し」にせざるをえなかった彼自身に。そして生き残ってしまった彼自身に。

  クラカワーは深刻な高度障害に見舞われながらも登頂を遂げた。命からがら下山する最中、仲良くなった唯一の仲間の奇妙な行動を横目に1人ベースキャンプに戻ってきている。ブクレーエフが救助活動の協力を求めたその時、難波からたった200mと離れていないテント内で人事不省にも等しかった。のちブクレーエフは難波について救助に向かった時点でまだ辛うじて生きていたと報告している。体感温度マイナス70度の大型トラックがひっくり返るくらいの視界ゼロの猛吹雪の中でたった1人で救助するには3人は多過ぎた。ブクレーエフ自身は極限状態の中で難波を置き去りにしたことを激しく悔い、のち難波の遺品を回収しに遭難地点を再訪している。

 この状況下で「生き残った絶望」は慮るに有り余る。ブクレーエフへの激しい非難は、彼のみならず、極限の地での容赦ない自然の前にあっては「葦」でしかない人類に向けられているようにさえ思われてならない。どうしても、私はそんな気がする。

 

 

 

 

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信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)

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