私記と思記

何故なら、ものを書くということは人と交わるためのひとつの方法だからである。---V. ウルフ

眠れない一族ー食人の痕跡と殺人タンパクの謎  ダニエル・マックス(2007紀伊国屋書店)

 

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

 

 

 

        

    

原題 The Family That Couldn’t Sleep(2006)
 
 耳目を引くタイトルだが、テーマは最近流行りの「アート」よろしく奇を衒ったわけではなく、また厨二的ホラーものでもない。邦訳版副題にあるように、いわゆる「プリオン病」を巡る歴然たる医学・科学ドキュメンタリーだ。
 プリオン病というのは、分子であるはずのタンパク質が何らかの原因によって異常を来し「感染」能力を得て、正常な遺伝子配列を変え、その結果、不治の病ー100%死に至る病ーを引き起こすものである。
 いちばん有名なのは「狂牛病」といわれるBSE;Bovine Spongiform Encephalopathy ウシ属の、スポンジ状になる脳の炎症)だろう。
 BSEのように外部からの感染によって発症するもの、遺伝性のもの、突発的なもの、様々な形態に分類される。ヒトでは「クロイツフェルト・ヤコブ病」「クールー」、羊では「スクレイピー」が有名だ。
 本書は、そのなかの、遺伝性の「プリオン病」に侵された、イタリアのある名家の一族への地道で辛抱強い、そして共感的な取材を中心に、いかにしてこの「病」が人類に認知され、どう克服されようとしてきているのかを、17世紀まで遡り、実に広範にしかも深く追ったものだ。端的にいって、非常に面白かった。ほとんど第1級のミステリーだった。(ちなみに私はミステリー嫌いで、世で分類されているその分野の読書経験はほぼゼロです。これまで読んだ "私的ミステリー"の最上級は『罪と罰』で、これに匹敵する出来と思っています。実に素晴らしい一冊です。)
 ”されようとしてきている”、などと現在完了時制じみて表現したのは、この「奇病」が未だほとんど未解明だからだ。本書は2006年に刊行されているが、2019年の現在でも事情は変わらない。今日までに解明されたごく僅かな事柄は、大変な時間と、無駄と浪費と、不運と幸運と、関わった者すべての努力の結晶だ。
 
 狂牛病騒動時に「タンパク質が感染????」というところで、無数のはてなマークに圧倒され躓き、「意味のわからない猛烈に怖い感染症」で理解を終えてしまっていた私には本当にありがたい一冊だった。(「クロイツフェルト・ジャコバン派」…我が国でいうと「放射脳」が近いだろう…の数歩手前だったかもしれない。詳しくは本書を当たってください)。専門用語の羅列ではあるが、どんな素人でも、丁寧に読み込んでゆけば必ず理解できる内容と構成になっている。私はこの1冊で、なぜ「タンパク質」が「感染」などということが起きうるのかを、やっといくらか理解させてもらった。
 世界の超一流科学者たちもまた、まさにそこで躓いていたのだ。固定観念を破って、じりじり謎に迫り、克服せんとし知見を深め、僅かな知見をさらに発展継承してゆかんとする様がありありと書かれている。極めて良質の、現代の科学史になっている。
 本書は科学史の教科書に替わりうる性質のものではない。輝かしい科学史の登場人物(奇人変人)たちの尋常ではない情熱(あるいは臥薪嘗胆、偏執または異常性癖)、栄光に満ちたオモテと吐き気を催す醜いウラも余すことなく徹底的に描かれる。著者は「プリオン」をめぐる、あらゆる時代のものごと・人々を丹念に描き出す。
 英国の牧羊地に体をかきむしる変てこな羊がいる。イタリアには「高年に差し掛かった時、眠れなくなりやがて発狂し疲労し死ぬ」奇病の発病におののき、苦しみながら、それを運命として静かに受け入れてきた一族がいる。「外の世界」との隔絶と孤独。外の世界に翻弄される絶望、怒り、そして悲しみ。太平洋の熱帯、パプアニューギニアの隔絶された高地にひっそり住まう「未開の原住民」は、女と子供に特に多く発生する奇病に恐れ慄いている。大昔におかしな羊を産んだ英国で、おかしな牛を見かけるようになる。複雑な利害関係から致命的な判断ミスを犯す政治家たちがいる。硬直した制度の中で、科学者の力添えを得ながら、どうにか「真実」にたどり着こうとする官僚がおり、一方で無関心な官僚がいる。政府の発表に一喜一憂するあらゆる業界のあらゆる階層の市井の人々がいる。ただ日常生活を生きていただけで、取り返しのつかない結果となってしまった人々がいる。それに嘆き、怒り、苦しむ人々がいる。狂った牛の報告が世界中で増えてゆく…。
 一見して繋がり得なかった、それぞれ隔絶された小世界内の人々や出来事が、「狂った牛」を媒介に、軽々と階級を、人種を、国境を、時間さえも超え、いまこの私たち誰もに繋がってゆく。その構成は鮮やかだ。人間の強かさや可能性を強く感じさせてくれる。その点で、どんなフィクションも及ばない究極の人間ドラマでもあった。著者自身が「プリオン」に関係すると思われる難病の当事者だからからこそできた仕事なのかもしれない。時に皮肉を帯びるが冷静な観察眼と個々の人々へのドライだが一種共感的な眼差しの両立は、この著者ならではだろうと思う。
 
 私が本書からインパクトを受けたことのいくつか。
 ひとつは、「羊の狂牛病スクレイピー」の成り立ちだ。古くは競走馬の改良、最近ではクローン羊のドーリーに謎肉…じゃなかった擬似肉の開発と、とかく英国人は「生命操作好き」との印象を私は持っている。その端緒的なエピソードとして「スクレイピー」はあったという点だ。功利主義的動機のみで出来たケーキに敢えてアイシングしてみると「飢える労働者の食料不足を補うために」羊の可食部を増やそうとしたところから始まっている。それに対する手段が如何ともしがたいほど合理的だった。すなわち共食いだ。筋以外の商品価値は乏しいが栄養豊富な部位を砕いて甘味を施し嗜好性を高め、家畜に食わせたのだ。動機や手段が何であれ、私はその心意気を責めたくはない。神に抗う傲慢とみてもいいし、当時もそうした批判は厳しかったし、現代の私でも実は隙あらば攻撃したい気持ちもあるのだが、なかなかどうして、いろいろ考えると責められない。ただその改良のために、すでにスペイン人が時間をかけて苦労して改良したメリノ種を悪巧みの末に盗んできたところは…非常に英国人らしくて、ほっこりさせて頂きました。
 
 いまひとつは、古代人類の習慣的食人が遺伝子を「強く」し、英国におけるCJD(狂牛病に端を発するクロイツフェルトヤコブ病)の発症を抑制していたという最近の知見であり、対照的に我々日本人の半数以上が、その感染については極めて脆弱な遺伝子型であること、そして我が国の政府はそれをかなり早い時期から理解していて、世界で最も厳格な輸入管理をいち早く行ってきていた、という事実である。
 もし古代人の食人習慣がなければ、あれだけBSEを拡散させてしまった英国人は、今頃絶滅していたかもしれないという。流行当時は真剣にそれが議論されていたらしい。プリオン由来病のほとんどが、発症までに極めて長い「潜伏期間」を有するので、まさに今時期ごろに英国人の大量死が始まっていたのかもしれないのだ。そんな事態にならずに本当に良かった。私は、とんでもない泥棒行為を少しも悪びれず、キラキラの理念で正当化したりしない英国人の気質が結構好きなのだ。ところで「日本人」のご先祖様は、食人習慣がなかったのだろうか?
 
 ちなみに読了後1週間、どうしても牛肉を食べる気にはなれなかったが、食欲というか習慣の勝利、久しぶりに食べたビーフカレーは最高だった。いつのまにやら美味しくなってすっかりお気に入りの米国アンガス牛はやめて、なんとなく国産牛使ったけどね。
 
追記
元高級官僚が横暴な息子を刺殺する事件があったが、彼はBSEの時に農水省の要職にあった人だ。この読書に刺激されていろいろ調べてみると、当時、霞が関でも民間でも壮絶な闘いが繰り広げられていたようだ。2000年代初頭には獣医師が自殺するなど痛ましい事件も起きているが、欧州でBSE流行の兆しがみられた頃の我が国の情報収集能力には目を見張るものがあるし、米国が美味くないうえに英国スタイルの肉骨粉でドーピングした牛を両手いっぱいに抱えてウシウシ迫っていたあのご時世に、よく止めたよな、感心しきりです。データを見ると、検疫で違反が発見されるや否や即時に全シャットダウンし、国民に即座に情報公開しているんですね。英国では出来なかったことです。我が国では肉骨粉を牛に対しては最初から使用しなかった、英国からの牛肉輸入はなかった、流行以前からなされていたこういった判断も賢明、あるいは幸運でした。そしてその世界的酪農氷河期に米国の牛は改良され、新たな競争力を得て、我が国に再上陸したんですね。安くて美味い牛肉をたっぷり食べられる時代が来るとはね。
 
でもなんで英国の牛肉を輸入しなかったんだろう。
英国本国はもとより、欧州でも人気で、英国が誇る旨い牛だったというのに。
1970年代のことなので、輸送の問題なのか、為替レートの問題なのか、何かの協定に基づいてのことなのか、或いは直感で肉骨粉を警戒したのか?いずれこの辺を調べたいです。